資格受験考

今日と明日は中小企業診断士の一次試験の本番ですね。

受験生の皆さん、緊張しすぎず、持てる力を精一杯出し切れるよう応援しております。

特に今年は、オリンピックの影響で試験日が1ヶ月前倒し、ところがどっこい、コロナで実施が危ぶまれる、とギリギリまで個人では制御できない外部環境に振り回されかねない状況で、勉強することすら大変だったと思います。その中で本番を迎えられた受験生の皆様には、心から尊敬申し上げます。

 

さて、普段は受験生支援の活動は一切やっていないので、具体的なアドバイスは経験ベースで「休み時間は必ずトイレに行く」とか「お昼ご飯は腹7分くらいで」程度のごくありふれたものしか浮かびません。

私は勉強慣れしていなかったので結局4回も一次試験を受けましたが、繰り返し受けた科目の理解の深度はたまたま合格した人よりもディープだと思っています(多分…)。特に一次試験は勉強のテクニックに依るとことろも大きいので、10代のハードな受験経験や、ほかの高難度資格の取得等でそういったことが身に付いている方は、素養として有利なのでは?と思ったりもします。もちろんそれだけではいかんともしがたく、モチベーションの維持や日々の努力が欠かせないと思いますが、よく言われる「〇〇時間勉強したら合格できる!」的な受験校の勧誘文句や、「私にできたからあなたにも出来る!」的な、合格者の根拠不明なゴリ押しには正直懐疑的でした。その人の経てきた背景や置かれている状況によって道筋は千差万別ですし、必要な時間も当然ながら一概には言えません。私の心の声は「いや、そんなん人によりけりやろ・・」てな感じです。

だから私は、決して格好いい合格の仕方ではありませんでしたが、「俺にできたからって、君にできるとは限らんで」と言います。これは決して上から言ってるのではなく、結局はSWOTよろしくその人の強みを生かして弱みをカバー、機会を捉えて強みを生かす…ってことに尽きると思うからです。言い換えれば「君にしか出来ひん勝ち方があるんちゃう?」ということです。その人が資格よりもほかに自分を高められることがあるなら、そっちに注力した方が価値的な場合もあると思います。

 

ともあれ、試験に臨まれる方々の偉大なる前進を心より期待いたします。

 

では。

開業しました

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やっとブログ更新します。

 TwitterのFFさんが高頻度でブログの更新しているのを拝見して、驚愕しています。

始めて早々、ひと月もあいだが開いてしまうのは怠慢と言われても仕方ないと思います…自戒は次回にするとして、去る5月末日に開業しました。5月中旬の診断士の登録を待って、それを看板にして開業したという格好です。

 

屋号は、「みや〇〇中小企業診断士事務所」です。みや〇〇は姓のひらがな表記です。伏字にしているのは、まだ本名を公開していないからで、そのうちオープンにする時がくるかもしれませんが、今はそうさせていただきます。あれこれ考えましたが、結局分かり易い名前にしました。

 

私のように、診断士資格を取ってすぐに開業する人は少数派だと思います。ちゃんと調べたわけではないですが、協会が定期的に協会員(現役診断士)を対象に取っているアンケート(2016年版)では大体、独立診断士は全体の4割強です。ほとんどの人は準備期間を経て士業人脈の構築や、副業として実務をこなしてから、ある程度は経済基盤にダメージが少ないようにしてから独立する人が多い印象です。チャレンジするにしてもそれが普通というか、常識人のすることだと思います。

 

独立した経緯と理由

 

 

では私はなぜ、すぐに独立したのか?

 

簡単に言うと、「後ろ髪を引かれるものがなかったから」、「健康で体力があるうちに挑戦したかったから」の2つです。

前職では辞めるタイミングを数年前から考えていましたし、それで途切れる収入も独立して数年でリカバーできないとだめでしょ!?っていうレベルでした。で、養うべき子供もいないし、持ち家でもなく借金もないし。奥さんはそれなりに稼いできてくれます。とはいえ、奥さんの理解を取り付けるのは当然ながら必須でした。付き合いが長いので、私がいずれは独立したいということは前々から伝えていましたが、本格的には診断士の合格が出る少し前から徐々に「俺、独立すんで」とすり込み、(運よく)合格できたことを良いことに、出来るだけドラマチックに「いよいよ時機(とき)が到来や!」とばかりに半ば押し切る形で了解を得た次第です。ともあれ、後ろ髪を引かれる要素がそれほどなかったわけです。

もう一つは、ブログにも書きましたがもともと自分で起業をしてみたいと十代のころから漠然とながら考えていて、それに向かって動き出すのは今しかないと直感的に思ったからです。肌に合わない会社勤めはもうしたくない(かといって働きたくないわけではない)という一見消極的な気持ちも裏を返せば独立への希求です。また、40歳を過ぎると健康が永遠に続かないことは本能で分かるものです。

あと1つ加えるとすれば、変な理由と思われるかもしれませんが、「血」を生かしたい、ということがあります。私の父方は大阪の古い商家で、古地図を見ると大阪城下の町屋の一角に屋敷が載っています。町名も「み〇〇き丁」です。明治~大正期以降の資本経済への移行と、太平洋戦争を経てほとんどの豪商は一部を除いて没落していくわけで、うちも例外ではありませんでした。因みに心斎橋や難波エリアが空襲で焼け野原になりましたが大阪城下の旧商人街は奇跡的に戦火を免れ、今でもその辺りの町屋は昔ながらの姿で現存していることが知られています。話を聞くと、戦前の祖父は私が引くくらい裕福で所謂ボンボンでした。それとは対照的に、息子である父親は戦後の生育過程でその経済的な恩恵は全く受けていません。要は貧乏の部類でした。恐らく私の先祖は、商売のセンスがあったというよりも何かしらの僥倖ゆえに富を成したのだろうと推測しており、先祖をリスペクトしているとか、崇拝しているとかは全くありません。しかし、戦後(というか資本経済で)没落したことに対するリベンジへのある種の使命感を、特にここ数年は強く持っています。士業での独立にしては少々大仰で、他人にとってはどうでもいいことかもしれませんが、それが私にとって「血」を生かすということです。

 

そういったことが合わさり、このタイミングで開業しました。法人ではないので、区の税務署に開業届を持っていくだけの至極簡単なことですが、自分にとっては記念すべき第一歩だと思います。

 

今後とも「み〇ざ〇中小企業診断士事務所」をよろしくお願いいたします。

次は営業活動のこととかを書きたいと思います。

 

では。

 

 

診断士の登録完了と友人の存在

中小企業診断士の登録が完了しました

 

気が付けば、前回のブログから6日も経っていました(汗)

ここ数日の変化と言えば、申請していた中小企業診断士の資格登録が完了し、登録証カードが協会から届きました。ようやく、中小企業診断士として名前を名乗れます。この資格は独占業務がなく、所謂「名称独占」の資格なので、名乗れてナンボなわけです。

さっそく自分のFacebookページでも報告し、多くのいいねや何人かからはお祝いのコメントもいただき、普段祝福されることなど滅多にない自分にとっては、この上なくありがたく思った次第です。

 

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勉強を支えてくれた友人の存在

 

私は、身内やごく近しい人にしか資格の勉強をしていたことを言っておらず、一次試験に合格するまではそれが特に顕著でした。それは、資格を取る理由を語ることが、自分に有益な反応となって返ってくることが少なかったからです。

資格を取って自分が何を成したいかを語っても、まず診断士の資格のことを知っている人が少数派で「そんなものに時間を費やすよりも、今の仕事で出世することを考えた方がいいんじゃないの?」といったものや「ふ~ん、で?」といったぬかに釘的な反応が多勢を占めたからです。

まぁその気持ちも分かります。資格なんて受かって実益にならなければ趣味と大して変わらないというステレオタイプな見方も存在するでしょうし、そもそも私という「他人」にそれほど興味がないのだと思います。

だからこそ、合格して存在をアピールしてやろうとも思うのですが、それよりもいちいち自分のモチベーションを説明することが面倒くさくなり、職場はおろか割とよく飲みに行く友人にすら言っていませんでした。

そんな中、旧友の中で唯一熱烈に応援してくれる友達、T君がいました。T君は同じ中学から大学まで通った友人ですが、中学生の頃の一時期は仲が良く、喧嘩もしましたが、それ以降は親友というほどの距離間ではなく、たまに会えば話をする程度の間柄でした。どういう経緯で彼に資格のことを話したかは忘れましたが、「(40代で)国家資格に挑戦するなんて同期の鏡や!」と手放しで称賛してくれました。試験の日程も大体おさえていて、本試験日の近くになったら「みやん、そろそろ試験近いんちゃうの?いい結果でることを祈ってます」とメールをくれるのです。昔はどちらかというとやんちゃだった彼が、そんな気遣いができる男になっていたことが意外といえば意外でした。私は、4回目でやっと1次試験の全科目に合格したのですが、結果が至らなかったときも、まっ先に彼に結果を報告しました。すると彼は「みやんやったら、絶対受かるよ」と元気づけてくれました。人は自分のことを信頼してくれる人の存在に励まされ、勇気づけられるものです。彼のストレートな言葉は私にとって心の支えになっていたと思います。

T君は意識的に、彼の周りにいる人たちにも私に対してと同様そのように振舞っているのかもしれません。或いは、彼が経た様々な苦労や経験が彼をそうさせるのかもしれません。理由はどうあれ、周囲の人、目の前の人を勇気づけられるということは、特筆すべき資質であると思います。

人生の半分が過ぎ、今までを振り変えると、特に20代30代は他人との比較に汲々とし自分を卑下することもありました。しかし年を重ね、50歳を目の前にすると他者との物理的な差異など大したことではないと思うようになりました。いつ死んでもおかしくない世代に突入したことで「死」を意識し始めたからかもしれません。死んだら何も持っていけませんから。自分は自分でしかない。人生は、他者との比較で満足が得られるような単純なものではないと感じ始めました。自分のリソースを使って如何に社会や他者に還元するかの方が重要だし、何かしらの使命を果たすことによって自分の生きた証を有形無形に関わらずこの世に残すことの方が重要だと思うようになったのです。肩書や資格などもそのための方便でしかないでしょう。生き方は他人にとやかく言われるものではありませんが、自分はそっちの方に価値を見出すようになりました。そして、本質的にそれを成すには「人格(=人間性)の陶冶」が必要と思っています。不安定な世情で仕方ない面もありますが、これは今の世の中では置き去りにされていることだと思います。

ではどうやって「人格の陶冶」をするのか?

これは難しい問題です。自己啓発本を読んで、真面目に生きていればいいという問題でもないでしょう。決して答えがあるようなものでもなく、これを語ると取り留めなくなってしまいそうなのでやめますが、ヒントは親子関係や家族、職場、地域、友達など自分の置かれている環境での他者との関わりにあるのではないでしょうか。

私は、T君の姿にそれを教えられました。

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とか言いつつ、Facebookでのデビュー報告は若干ドヤってしまった、まだまだな私です。

 

(終わり)

 

 

診断士の仕事を垣間見る

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最近のツイートとその後

 

こんにちは、みや~んです。

 先日、Twitterのアカウントでこんなことを呟きました。

 

 

 

実は、このツイートの少し後にそのお店を訪問し、三代目の店主と面識を持ち、現在までに3回ほど打合せを持たせてもらいました。

ツイートの内容にあるように、金銭が発生するものではなく、自分がこれまでに得た知識を提供させてもらい、少しでも店舗運営の役に立つことが目的です。自分にとっての最初の経験として積ませて頂くことが私のインセンティブと言えます。

 

詳細はここでは語れませんが、当然、コロナの影響で店の売上げは激減し、先の見えない状況下で「如何にこの時を凌ぐか?」が他の飲食店と同様、命題であることは想像に難くないと思います。

共通の知人の紹介ということもあるでしょうが、私が相談相手として関わることを喜んで頂きました。何気ないことですが、これは私にとっても嬉しい事であり、資格を得なければ経験できなかったことだと思います。ちなみに店主は私とほぼ同世代で、都の西北にある大学で商学を学ばれたので、「やれ外部環境が」とか「やれ顧客の特性が」といったことにも反応が早く、拙いながらも初めて経営支援をする私にとってはありがたい経営者さんです。

 

お店は、コロナ禍の前は比較的順調に推移しており、客観的には「何とかこの数ヶ月を切り抜けられれば・・」という感覚もありましたが、店主曰く、日々変わる状況に一喜一憂し、脱力感にも見舞われることもあるとこぼされていました。私は経営者としての経験がないので、その辛い気持ちは想像するほかありません。受け売りのように「できることをひとつずつやっていきましょう!」と伝える場面もありました。しかし、私は(金はないが)幸いにも精神的なスラック(余裕)があります。ハッタリでも半人前でも、「俺がおるから大丈夫やで!」という心意気で経営者がしんどい時に拠りどころになれれば、自分の存在価値もあるのかもしれません。もちろん士業として稼いでいくことも重要だと思いますが、今の自分にとっては、経営者を支えられる実力を養っていくことが何よりも優先事項なんだと学んだりもしました。

そんな試行錯誤しながらの支援活動ですが、店主は私と話をする中で、やるべきことがクリアになっていく部分もあり(それが目的でもありますが)、私にしてみると見えない何かを一緒に作っているような感覚にもなります。

診断士って、エモいですね…

 

ともあれ、この未曽有の状況下で、サラリーマンしか経験してこなかった自分が、最も経済的にダメージを受ける業種のひとつである飲食店経営者さんの、微力ながらも力になれることは感謝すべきことであると思います。

 一応付け加えておくと、経営診断書も作成するつもりです。

 

では、またお会いしましょう。

先日、Twitterのアカウントでこんなことを呟きました。

 

 

今日からブログをはじめます

 

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私について

 

はじめまして、みや~んと申します。

都内在住の現在47歳の男です。大阪出身で東京に出てきて20年目になりました。

 

昨年(令和元年)の国家資格である中小企業診断士2次試験に(やっと)合格し、今年2月~3月に行われた診断士協会主催の15日間の実務補習を終え、現在は資格登録の完了を待つ身です。ですので、まだ「中小企業診断士」とは名乗れずブログ名を暫定的に(仮)としています。

 

ブログを始めようと思ったきっかけは、実務補習で習った現役診断士である先生が「診断士として、自分のことを発信する場を持つことを勧める」と言われてたことに端を発します。このブログでは、これから診断士活動を進めていく上での学びや気づき、その時に伝えたいこと、私自身のことなど、あまり分野やカテゴリーを限定せずに綴っていければなと思っています。そして最終的にはこのブログが自分にとっての名刺代わりのメディアになればいいなと思っています。

 

最初の投稿ですので、私のことを自己紹介がてら語ります。

 

社会に出てから20年余り、所謂糸へんと呼ばれる繊維アパレル業界で仕事をしてきました。というのも、子供のころから洋服好きで、七五三で着せられた誰かのお下がりの三つ揃いスーツをずっと着ていたいと思うような子でした。小学生の頃には既に自分で服を買いに行くような子になっていました。こう言うとだいたい、兄弟とか周りに影響を受けたように思われるかもしれませんが、そういった人は思い当たりません。父親はダサくはないですがまぁおっさんコンサバ、母親は大阪のおばちゃん的派手好き、3歳上の姉は人並みな感じです。そう考えると、服好きは私が本来持っている感性の発露なんだと思います(これは今でも変わりません)。そんなわけで、他にしたいことがなかったから、というよりも積極的に服作りに関わりたかったので(少なくとも最初のころは)、そういう仕事人生を歩んだわけです。因みに東京の大学(私大文系※高校からの姉妹校推薦)卒業後、大阪にあるファッション系の学校に2年間(正確に言うと大学時に夜間の1年を加え都合3年間)に通っています。技術職を志望しており、レディスのデザインとパターンを学びました。卒業制作では周りのみんながファッション系の学生によくあるようななんちゃってアバンギャルドを提案する中、私は「いやいや、リアルクローズっしょ」みたいな逆張りでストリートマリンのコーディネイトで制作したところ、審査員の某大阪出身大御所デザイナーにベタ褒めされ、結果、優秀賞を頂きました(これは自分が人生で得た勲章のひとつです)。その後、初めて就職したのは神戸の小さなブラウスメーカーでした。初めに就職した時から「いつかは独立したい」という夢があったので、当時はまだ主流だった“一つの会社を勤め上げる”という昭和的な考えは全然ありませんでした。その予言を自己成就し、転職回数は6回に亘り在籍した会社は現在まで7社にのぼります。その7社は全て繊維やアパレル製品に関わる会社でしたが、そこで企画職や営業等、複数の業種を経験してきました。今年3月まで約7年間勤めていたのは、繊維系の第三者検査機関(公益法人)でした。在職した会社それぞれに思い出がありますが、なんせ7社(最速で辞めたのは2か月)もあるので、気が向いたら後々書きたいと思います。

会社の規模も色々でしたので、中小と大企業の違いや、社風の違いも肌で感じています。それぞれがどんな会社で、何を成果として成したかまでを述べると長くなるので割愛しますが、自分のキャリアの特徴はこれが全てです。要約すると「糸へん(川中から川下)業界で数社を渡り歩き、複数の業種を経験した」です。世間から注目されるような華々しさは一切ありませんし、SNS界隈でドヤれるようなものでもありません。どちらかというと、「変化が激しくて給料も高くない業界で大変そう・・」という声のほうが多いかもしれません。客観的に見たら私もそう思います。しかし、半分後付けと言えば後付けですが、これこそが私の狙いでした。

 

私が中小企業診断士を目指した理由

このようなキャリアを踏む中で、私の中の考え方も変遷します。業界の旧態依然の慣習や、顧客であるアパレルからの理不尽な要求、会社にとって都合の良い雇用形態など、私の中二的(ちゅうにてき)想像をはるか凌駕する世界に、年を経るごとに辟易していました。そんな中、40代に差し掛かった頃、中小企業診断士という資格があることを知り、詳しく調べました。もともと本を読むことが好きだったり、知的好奇心は旺盛な方でしたので「この資格の勉強をしたい!」と思うようになりました。

 その理由は2つあります。

まず1つ目は、夢である起業をするにあたって必要な知識が学べそうと思ったこと、

2つ目は、「頑張ったら取れそう」と思ったことです。勉強慣れしている方ではありませんでしたが、勉強をしてそれを理解できている自分を想像するとアドレナリンが出てくるような、居ても立ってもいられないやる気が出てきました(本格的に勉強を始めるのはそれから2年ほど経ってからですが)。

 

・・・

かくして、5年の歳月をかけて無事資格取得ができたわけです。勉強をする過程で、自分が仕事をしながら感じていた違和感や理不尽さの正体を、自分なりに理論的に解明できたことは、資格取得の副産物だと思います。

先述の通り、今年の3月に前職を退職しました。時は期せずしてコロナ禍で今は自宅待機の日々ですが、自分的にはこの数か月で今までとは違う人生のステージに移った気持ちでいます。

さて、今後どうなるのでしょうか。

よろしければ引き続きお付き合い頂ければ幸いです。