診断士の登録完了と友人の存在

中小企業診断士の登録が完了しました

 

気が付けば、前回のブログから6日も経っていました(汗)

ここ数日の変化と言えば、申請していた中小企業診断士の資格登録が完了し、登録証カードが協会から届きました。ようやく、中小企業診断士として名前を名乗れます。この資格は独占業務がなく、所謂「名称独占」の資格なので、名乗れてナンボなわけです。

さっそく自分のFacebookページでも報告し、多くのいいねや何人かからはお祝いのコメントもいただき、普段祝福されることなど滅多にない自分にとっては、この上なくありがたく思った次第です。

 

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勉強を支えてくれた友人の存在

 

私は、身内やごく近しい人にしか資格の勉強をしていたことを言っておらず、一次試験に合格するまではそれが特に顕著でした。それは、資格を取る理由を語ることが、自分に有益な反応となって返ってくることが少なかったからです。

資格を取って自分が何を成したいかを語っても、まず診断士の資格のことを知っている人が少数派で「そんなものに時間を費やすよりも、今の仕事で出世することを考えた方がいいんじゃないの?」といったものや「ふ~ん、で?」といったぬかに釘的な反応が多勢を占めたからです。

まぁその気持ちも分かります。資格なんて受かって実益にならなければ趣味と大して変わらないというステレオタイプな見方も存在するでしょうし、そもそも私という「他人」にそれほど興味がないのだと思います。

だからこそ、合格して存在をアピールしてやろうとも思うのですが、それよりもいちいち自分のモチベーションを説明することが面倒くさくなり、職場はおろか割とよく飲みに行く友人にすら言っていませんでした。

そんな中、旧友の中で唯一熱烈に応援してくれる友達、T君がいました。T君は同じ中学から大学まで通った友人ですが、中学生の頃の一時期は仲が良く、喧嘩もしましたが、それ以降は親友というほどの距離間ではなく、たまに会えば話をする程度の間柄でした。どういう経緯で彼に資格のことを話したかは忘れましたが、「(40代で)国家資格に挑戦するなんて同期の鏡や!」と手放しで称賛してくれました。試験の日程も大体おさえていて、本試験日の近くになったら「みやん、そろそろ試験近いんちゃうの?いい結果でることを祈ってます」とメールをくれるのです。昔はどちらかというとやんちゃだった彼が、そんな気遣いができる男になっていたことが意外といえば意外でした。私は、4回目でやっと1次試験の全科目に合格したのですが、結果が至らなかったときも、まっ先に彼に結果を報告しました。すると彼は「みやんやったら、絶対受かるよ」と元気づけてくれました。人は自分のことを信頼してくれる人の存在に励まされ、勇気づけられるものです。彼のストレートな言葉は私にとって心の支えになっていたと思います。

T君は意識的に、彼の周りにいる人たちにも私に対してと同様そのように振舞っているのかもしれません。或いは、彼が経た様々な苦労や経験が彼をそうさせるのかもしれません。理由はどうあれ、周囲の人、目の前の人を勇気づけられるということは、特筆すべき資質であると思います。

人生の半分が過ぎ、今までを振り変えると、特に20代30代は他人との比較に汲々とし自分を卑下することもありました。しかし年を重ね、50歳を目の前にすると他者との物理的な差異など大したことではないと思うようになりました。いつ死んでもおかしくない世代に突入したことで「死」を意識し始めたからかもしれません。死んだら何も持っていけませんから。自分は自分でしかない。人生は、他者との比較で満足が得られるような単純なものではないと感じ始めました。自分のリソースを使って如何に社会や他者に還元するかの方が重要だし、何かしらの使命を果たすことによって自分の生きた証を有形無形に関わらずこの世に残すことの方が重要だと思うようになったのです。肩書や資格などもそのための方便でしかないでしょう。生き方は他人にとやかく言われるものではありませんが、自分はそっちの方に価値を見出すようになりました。そして、本質的にそれを成すには「人格(=人間性)の陶冶」が必要と思っています。不安定な世情で仕方ない面もありますが、これは今の世の中では置き去りにされていることだと思います。

ではどうやって「人格の陶冶」をするのか?

これは難しい問題です。自己啓発本を読んで、真面目に生きていればいいという問題でもないでしょう。決して答えがあるようなものでもなく、これを語ると取り留めなくなってしまいそうなのでやめますが、ヒントは親子関係や家族、職場、地域、友達など自分の置かれている環境での他者との関わりにあるのではないでしょうか。

私は、T君の姿にそれを教えられました。

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とか言いつつ、Facebookでのデビュー報告は若干ドヤってしまった、まだまだな私です。

 

(終わり)