開業しました

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やっとブログ更新します。

 TwitterのFFさんが高頻度でブログの更新しているのを拝見して、驚愕しています。

始めて早々、ひと月もあいだが開いてしまうのは怠慢と言われても仕方ないと思います…自戒は次回にするとして、去る5月末日に開業しました。5月中旬の診断士の登録を待って、それを看板にして開業したという格好です。

 

屋号は、「みや〇〇中小企業診断士事務所」です。みや〇〇は姓のひらがな表記です。伏字にしているのは、まだ本名を公開していないからで、そのうちオープンにする時がくるかもしれませんが、今はそうさせていただきます。あれこれ考えましたが、結局分かり易い名前にしました。

 

私のように、診断士資格を取ってすぐに開業する人は少数派だと思います。ちゃんと調べたわけではないですが、協会が定期的に協会員(現役診断士)を対象に取っているアンケート(2016年版)では大体、独立診断士は全体の4割強です。ほとんどの人は準備期間を経て士業人脈の構築や、副業として実務をこなしてから、ある程度は経済基盤にダメージが少ないようにしてから独立する人が多い印象です。チャレンジするにしてもそれが普通というか、常識人のすることだと思います。

 

独立した経緯と理由

 

 

では私はなぜ、すぐに独立したのか?

 

簡単に言うと、「後ろ髪を引かれるものがなかったから」、「健康で体力があるうちに挑戦したかったから」の2つです。

前職では辞めるタイミングを数年前から考えていましたし、それで途切れる収入も独立して数年でリカバーできないとだめでしょ!?っていうレベルでした。で、養うべき子供もいないし、持ち家でもなく借金もないし。奥さんはそれなりに稼いできてくれます。とはいえ、奥さんの理解を取り付けるのは当然ながら必須でした。付き合いが長いので、私がいずれは独立したいということは前々から伝えていましたが、本格的には診断士の合格が出る少し前から徐々に「俺、独立すんで」とすり込み、(運よく)合格できたことを良いことに、出来るだけドラマチックに「いよいよ時機(とき)が到来や!」とばかりに半ば押し切る形で了解を得た次第です。ともあれ、後ろ髪を引かれる要素がそれほどなかったわけです。

もう一つは、ブログにも書きましたがもともと自分で起業をしてみたいと十代のころから漠然とながら考えていて、それに向かって動き出すのは今しかないと直感的に思ったからです。肌に合わない会社勤めはもうしたくない(かといって働きたくないわけではない)という一見消極的な気持ちも裏を返せば独立への希求です。また、40歳を過ぎると健康が永遠に続かないことは本能で分かるものです。

あと1つ加えるとすれば、変な理由と思われるかもしれませんが、「血」を生かしたい、ということがあります。私の父方は大阪の古い商家で、古地図を見ると大阪城下の町屋の一角に屋敷が載っています。町名も「み〇〇き丁」です。明治~大正期以降の資本経済への移行と、太平洋戦争を経てほとんどの豪商は一部を除いて没落していくわけで、うちも例外ではありませんでした。因みに心斎橋や難波エリアが空襲で焼け野原になりましたが大阪城下の旧商人街は奇跡的に戦火を免れ、今でもその辺りの町屋は昔ながらの姿で現存していることが知られています。話を聞くと、戦前の祖父は私が引くくらい裕福で所謂ボンボンでした。それとは対照的に、息子である父親は戦後の生育過程でその経済的な恩恵は全く受けていません。要は貧乏の部類でした。恐らく私の先祖は、商売のセンスがあったというよりも何かしらの僥倖ゆえに富を成したのだろうと推測しており、先祖をリスペクトしているとか、崇拝しているとかは全くありません。しかし、戦後(というか資本経済で)没落したことに対するリベンジへのある種の使命感を、特にここ数年は強く持っています。士業での独立にしては少々大仰で、他人にとってはどうでもいいことかもしれませんが、それが私にとって「血」を生かすということです。

 

そういったことが合わさり、このタイミングで開業しました。法人ではないので、区の税務署に開業届を持っていくだけの至極簡単なことですが、自分にとっては記念すべき第一歩だと思います。

 

今後とも「み〇ざ〇中小企業診断士事務所」をよろしくお願いいたします。

次は営業活動のこととかを書きたいと思います。

 

では。